屋久島

相変わらず動かない高速船の代わりに、フェリー太陽(別名:欠航丸)で屋久島へ。

ヤクスギランドから宮之浦岳を経て、白谷雲水峡へ三日間の山旅。
海で過ごした今年の夏。
カヤックとサーフィンで上半身ばかりが鍛えられ、初日からあっさり筋肉痛。
種子島のエメラルドグリーンの海も美しいけれど、やっぱりあたしは山の生活も捨てられないなあと思う。山や木や風が力をくれる気がする。
屋久島の山の景色は不思議な景色。
大きな大きな木と、ごろごろした丸い岩。

山の北斜面に入ると、深い霧が。もののけの森。辻峠。

山から下りると、体は疲れても、心が元気になるような気がする。
山から下りたくないと思う。このままずっとここにいられたらいいのに。
そうは思いながらもいつも里に帰ってくる。現実に戻ってくる。
少しずつ、ここにも秋がやってくる。

屋久島は滝の島。急峻な斜面を豊富な水が滑り落ちていく。
水も、空気も高いところから低いところへ。
生きていないもの、感情を伴わないものの大きな働きのことを最近よく考える。
生まれて死んで、また生まれて。
そういう一つ一つの命とは違った世界に存在するもの。
うまく説明できないけれど、もっと大きなもの。
波がおきたり、雨が降ったり、風が吹いたり、雲がわいたり、雷が鳴ったり。
そんななかで、みんな一生懸命生きているなあと思う。
自分もその中の一つの命なんだけど。
鹿もサルも人間も木々も。
大きな動きに包まれて、生かされているなあとなんだか感じる。
今日は永田の浜で夕日を見ていたら日が暮れた。当たり前だけど。
インターネットで宿を探すも、パソコンの充電切れのためあえなく断念。まだハイテクノロジーをうまく使いこなせていない。
機械というのは電気が必要で、電気は自分では作ることが出来なくて。
どうしようかと思いながらも、連絡のつかない宿を探す道の途中。あまりの満天の星に車を停めて空を見上げる。と、そこに通りかかった一台の車に道案内をしてもらう。旅をしているとたくさんの縁に助けられる。
ここの島の人は親切だ。
どこの人もあったかい。
探していた宿の人は、数日前から旅に出たとのことで、近所の人に紹介してもらって無事に一湊に宿を見つける。
さすがにお母さんに野宿をさせるわけにはいきません。まだまだ未熟なツアーガイドのわたし。
屋久島は口永良部島に夕日が落ちる。