日本の海

世界は人間の為だけにあるものではないと思う。
海も、山も、川も。
たくさんの命にあふれている。たくさんの命が生きている。
全ての命はつながっている。
人間は?
食物連鎖の頂点に立って、奪って、殺して、破壊して。
Input ばかりで、どこに Output があるのだろう。
吐き出すものはごみばかり。
人工調味料や、保存料を食べ過ぎた体は、もう土にも還れない。
ただでさえもう、今の日本にはほとんど残されていないのに、これでもかとまだまだ破壊を続ける人たちがいる。
それを防ごうと動いている人たちがいる。
今、小さな小さな力だけれど、友達が動き始めている。
どうしていつも、守ろうとする動きを支える力は小さくて、壊されていく自然を、地球を、見ていることしか出来ないのかな。
千葉の九十九里の浜が、ブロックの塊で埋め尽くされるのを、ただただ見ていることしかできないのかな。
北海道でも、他の川でもたくさんの、砂にうずもれて、意味を成さなくなった、砂防ダムという名の無駄遣いを見た。
あの川にはもう魚は還らない。
それを見て、悲しむことしかできなかった。
でも、今は動き出した人たちがいる。
わたしも少しでも彼らの力になりたいと思う。
私の力は小さくて、何が出来るのかわからないけれど。
今、九十九里浜に、特に意味もなく、よくある予算の埋め合わせのために、コンクリートの塊が次々と投げ込まれている。
一個百万円だって。
私にください。
もっとたくさんの幸せを作り出すことが出来る。
もっとたくさん夢見ることが出来る。
いいかげんに目を覚まして欲しい。
私たちが生きていけるのは、地球が、海が、風が、土が、雨が、波が、たくさんの命が、私たちを養ってくれているからだということ。
八百万の神々を崇めて、厳しいけれど豊かに暮らしていた時代を思い出して欲しい。記憶にないのならば想像して欲しい。
砂にも、木にも、石にも、川にも、人の中にも、神々が宿っていて、全て等しく大切な命だということを。
何もしないことで、生まれてくる命や、守られるものがあるということを。
そしてそんな中で、私たちが生かされていることを。
飢えて死ぬこともなく、物にあふれて、時間に追われて生きていかなければいけない私の生まれた国、日本。
移り変わる四季、豊かな水量の川、緑にあふれた森、どこまでも広がる海。日の出ずる国、極東の島々。
世界の人々に、私は日本人だと、とても美しいところだと、胸を張って誇れる国になるために。
いつかこの小さな動きが、大きな力を動かす日がきますように。
長くなりました。
今、工事の一時中断を求める署名運動をしています。
詳しくは
■九十九里の危機↓
> http://kibokoblog.blogspot.com/2010/02/1.html
まで